水の豊かさがもたらした千年の都・京都の発展

人が暮らすためには水が必要

生活をする上で、水は絶対に必要な資源です。
飲み水もそう、炊事・洗濯・お風呂など生活用水でも水は必要です。
私たちが口にしている野菜やお米も水がなければ育ちません。
水は生活において最重要視されてきました。
それは京都も同じです。
特に京都の水は質も良く、豊かに流れるため、昔から様々な事に役立ってきました。
今回は京都の水がいかに生活で役立てられていたか、歴史に沿ってお話ししていきます。

都を作る上で重要だった水の豊かさ

文明を作る上で水の力は欠かせません。
奈良時代、桓武天皇が奈良の平城京の遷都を考えた理由の一つは水でした。
当時、水は飲み水・農耕用の水・生活用水はもちろん物資を運ぶ水路など重要な役割を担っていました。
平城京は人がどんどん増えて生活排水の機能が麻痺、さらには水路が乏しく陸路からの運搬が主で非効率的でした。
その点、京都は西側には桂川、東側には鴨川が流れ、さらには地下水も豊富。
都として移り住んだ平安京がある長岡京は大きな川が多く、船で物資を運ぶのに優れた土地でした。
その後も、場所を変えながらも千年以上、京都は日本の首都として君臨し続けました。
豊かで質の良い水が流れる京都だったからこそ、人々は豊かな暮らしができたのです。

昔は川や水路が主要な物流ラインだった

今でこそ高速道路や鉄道が整備され、交通は便利になりましたね。
しかし、昔はそのような交通手段はなく、飛脚や荷馬を使って物資を運んでいました。
その中で一番効率が良かったのが水路です。
人が暮らす上で水路が極めて重要な物流ラインであり、京都は大きな川が多く、水路による物流も活発だったため、都が大きく発展していきました。
桓武天皇が長岡京や平安京を建築する際、多くの木材が必要になりました。
これまでは人の手や馬で木材を運んでいましたが、従来のやり方ではあまりに効率が悪く、頭を悩ませます。
しかし、物流において京都は水路が豊富です。
木材をいかだにして桂川に流し、建築に必要な材料を運搬しました。
陸路よりも効率的に資材の運搬ができたと言われています。
こうしてできた都は、京都各地に流れる大きな水路によってさらに物流を活発にしていきます。
淀川もお米など物資を運ぶ重要な運河となっていました。
江戸時代にはさらに活発化し、京都の中心と伏見を結ぶ高瀬川は、一日200隻の船が往来するほど利用されてきました。

夏の暑さに負けないためにできた川床

京都の夏の風物詩「川床」。
「納涼祭」とも呼ばれ、まさに川床では涼しさを味わうことができます。
京都で言えば鴨川が有名です。
川床の時期には、夜になると鴨川沿いが川床の赤提灯で照らされ、見ているだけで風情を感じますね。
この独特の風習は、なぜ生まれたのでしょう。
それは京都の独特の地形と恵まれた水が理由の一つです。
京都は三方を山で囲まれた盆地のため、夏は蒸し暑くなります。
京都の人々は涼しさを求め、その結果川床が生まれました。
平安の頃より町の人々は鴨川で涼をとっていたそうですが、今のスタイルになったのは江戸時代から明治時代にかけてです。
うだるような暑さの中、鴨川で涼みながら食事を取ってもらおうと川床を提供する茶屋が増えていきました。
川床は鴨川だけではなく、貴船の川床も人気ですね。
貴船の川床ができたのは大正時代。
鴨川とは異なり、貴船では岩の形を利用した川床となっています。
川の上に床を引いたような形となっており、手の伸ばせば触れられるくらい距離に水が流れています。
今も昔も、人々は京都の水の持つ涼しさで暑い夏を乗り越えてきました。

まとめ

今の時代につながる京都の街の発展は、京都に流れる水がもたらしたと言っても過言ではありません。
人が住む上で、水の豊かさは最重要です。
飲料水、生活用水においても京都は質の良い水が流れる場所でした。
高速道路など陸路が整っていなかった昔、物資を運ぶ上で重要な水路が多く存在した京都。潤沢な資源を確保できたからこそ、都を建設することができました。
今や夏の風物詩となった鴨川の川床も、炎天下の中でも涼しい貴船の川床も、京都の水の豊かさによってできたものです。
京都の水がいかに私たちの生活を豊かにしてきたのか、歴史を見れば一目瞭然ですね。

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